
<寺院沿革> 当山はもと地下鉄・神楽坂駅の近くにある赤城神社の隣にあったが、明治40年7月に現在地に移転した。はじめ見龍山佛性寺と号していたが、後年乾龍山天徳院と改称した。 開山は吉祥寺五世・用山元照大和尚であり、開基は加賀・前田利常の夫人、天徳院殿であって、二代将軍・秀忠公の次女、かの千姫の妹君にあたる。金沢の天徳院、高野山の天徳院とも、その菩提を弔って院号を寺号とした。 また当院には、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭松の廊下の刃傷の際、内匠頭を押えた幕臣梶川与惣兵衛頼照の墓がある。墓碑に、謙亨院殿閑雲古水居士・卒年七十有亡と刻んである。
住職:
- アクセス情報
- "■JR中央線 地下鉄大江戸線 東中野駅下車10分
■地下鉄東西線 落合駅下車10分" - 開門時間
- 00:00 ~ 00:00
- 駐車場
- URL
- http://www.nakanobukkyoukai.gr.jp/jiin/tentokuin/p1.htm
- 施設情報
- 年中行事
- ■大施餓鬼会 5月3日
■観音供養会 6月中旬
■無縁供養会 10月中旬
■梅花流御詠歌 毎月1回 - 墓地の情報
御利益
供養・お祓い
その他の情報
<本尊>
釈迦牟尼仏
他に聖観世音菩薩